第77回 2018年8月3日 

 

古墳出現期の日本海沿岸(特に出雲)を中心とした交易網(鉄、玉、漆)をロジスティクス的に解明する(冨田五郎)

 

 弥代時代の中期には、需要―資材の調達―生産に物流の仕組みが加わった、所謂 ロジスティクスが大陸と韓半島と日本列島を結んで行われていた。今様に言えばグローバル ロジスティクス(サプライチェン)が鉄と玉と石の交易ネントワークとして、日本海沿岸を中心に見られる。朝鮮半島南部/肥前唐津―因幡青谷上寺地/丹後奈具岡―南加賀小松市八日市地方&菩提の間で成立している。

 また市場の競合条件を見て柔軟に扱い商品を変更するクニすら存在することも散見できる。後期後半以降になると、出雲を起点とする生産素材の変化と鉄具の革新が、北陸南西部(越前・加賀・能登)及び伊都国に伝播し、玉作りや鉄鍛冶技術が広がる。出雲は山持遺跡が中心であるが、中野清水が鉄素材や玉素材の物流センターの役割を担っている。漆は出雲の貴重な特産品として列島各地や朝鮮半島までもたらされる。出雲はこのように素材や製品を搬出入する外来土器の集積拠点を持ち外地には出雲の土器を拡げているので、手工業が発達し交易によって経済力が優れているクニと言える。首長は西谷3号墳を擁する力を持ち、大きな人口支持力も有するので、倭人伝の投馬国候補としても肯定できよう。

 以上の分析では朝鮮半島南部における洛東江の支流を成す河川沿いを調べ、朝鮮半島における原三国時代(三韓時代)の鉄の鍛造技術の進歩とその展開を観察した。併せて、西日本の鉄や玉の文化が北陸南西部を経由※して東日本へ伝播することも最後に示唆することにした。

 

※明治大学の石川日出志教授と歴博の春成秀爾名誉教授の持論;日本海沿岸の小松市八日市地方遺跡と伊勢湾の名古屋ー清須の朝日遺跡を結ぶ南北ベルトが弥生代時代東西文化の交流地帯である。