第63回 2015年01月16日 

 

地学で解く白村江の戦い(河原宏)

 

白村江の戦いを、潮汐・潮流・当時の船舶の構造・航法といった理科の視点で考えた。日本書紀には白村江の戦いは八月二八日に起こったとあり、これを現代の太陽太陰暦に変えると今年は10月10日に当たる。この日の海上保安庁のデータから、白村江近くの海域では干満の潮流が2ノット以上の速さで流れていることが分かった。当時の船は準構造船で基本的には漕行であったと考えられ、その標準的な速さは約2ノットである。これは逆潮では進めないことを表している。戦いの時、倭軍は連れ潮に乗って漕行したとすると、最満潮の潮止りの時に白村江に到着した。そこでそのまま突撃するか、翌朝の有利な干潮時の潮止りまで待つかの選択肢があったが、倭軍は前者をとって敗北した。その理由は、食料が欠乏していて待てなかったためと考えられる、とのことであった。